過去の講演要旨
生活の中の思考
2016年9月20日朝塾 外山滋比古氏講演
人工知能の出現、大変化にどう備えるか
いま世界的に大変化が起こりつつある。これを第4次産業革命という人もいるが、日本人はのんきで、ほとんど危機意識を持っていない。アメリカの一部の人たちは数年前から2045年問題として大変化に備えているが、日本では2045年問題にあたるものが存在しない。人工知能(AI)が人間を上回りつつあり、我々の生活全般を変えなければならない事態が遠からず起きる可能性がある。人間の知能と人工知能の対立をどう克服するか、日本では考えている人は少ない。ゼロに近い。
それは我々が受けてきた教育が間違っていたということだ。第一次産業革命後の近代思想による学校教育は「人間」を考えてこなかった。知識をうまく教えればいいという考えを前提にして学校教育が成り立っていた。専門知識を与えれば社会のリーダー、指導者になれるという思想だ。こうした学校教育の根本的な欠点は、生徒や子どもたちの生活を無視、軽視してきたことだ。学校に行っても子どもたちには「生活」がない。昼の給食(昔は弁当を持参した)だけがわずかに生活的といえる。
確かに、基礎知識という点では学校教育の成果はかなりあったと思う。だが、知識があるから人間は「万物の霊長」というのは錯覚で、人間はまず生きなければだめだ。それをだれも教えない。もちろん家庭にその力がないし、子どもを学校に入れて、ある種の記憶の訓練を、高等教育に至るまで知識を詰め込む。人間の価値、人間力をおし上げようとする。これが社会の共通にもっている誤解で、ずっとまだ生きている。そして、そこへ現れたのが人工知能。人工知能によって、これまでの事務系の仕事のかなりの部分は奪われるだろう。とくに最近はセンサー技術が進歩し、人間の作業能力を上回るのは確実で、サラリーマンの多くは人工知能の力によって職を失う恐れがある。
一番大事なのは「生きる力」
人工知能にどう対応していくかは大きな問題である。基本的に言えば、人間はまず生きなければいけない。近代文化は知識が生活より価値あると考えて、生活をあとまわしにし、知識の習得に十何年も費やしてきた。人工知能の存在しない時には、それが有効であった。だが、これからはそうはいかない。人間が人間として生きていくのに一番大事なのは「生きる力」、具体的には「生活」だ。その生活を我々はいままでばかにしてきた。お恥ずかしい生活をしてきた。要するに生活を無視し、ばかにして、仕事の方が大事と考えたので、仕事も頭でするものと誤解してきたのである。
まず生活を考えると、人間は朝から働いて夕方には寝る。その間に食事をする。これが一番人間らしい生活だ。近代教育を受けた人たちは、生活を見失いばかにしてきた。朝寝坊は知的な人間の特権のようであった。イギリスのブレイクという詩人は「朝考え、昼に仕事をし、夕方に食し、夜は寝る」という詩を作った。朝に目をつけたのが太陽暦の文化だが、日本人もヨーロッパ人も朝の意味をいまだに十分に理解していない。我々は生活をほとんど考えない。多くは不健康な生活を当たり前と考え、太陰暦的に生きている。太陽暦と太陰暦の折り合いがつかないために、生活習慣病というような病気も出てきた。しかし、生活習慣の間違いに医学はほとんど無力で、生活習慣病を防ぐ方法がほとんどない。
生活習慣病は人類への警告
まず、生活をしっかりしなければならない。我々の生活は100年前とあまり変わらない。それを考える人がいないために生活習慣病が多くなり、人類に警告を発しているのである。「生活習慣が悪い」、「生き方がまずい」と教える人がいない。代って自然が病気によって教えているのである。生活習慣病を治すには、生活を良くし、いい生活をするほかない。それは「生きる力を伸ばす」ということだ。きょう一日、何をするか、今週、今月は何をするか。そういう生きるスケジュール、予定をたて、いかにして健康に賢く生きるかの具体案をつくることが大切だ。毎日やっていると自分の生活が確実に変化する。いい方向に向かうようになる。賢く健やかに、愉快に生きていくにはどうしたらいいかを考えるのである。
そのほか大事なのは「失敗」という経験。病気もその一つ。ただ病気を嘆き悲しむのではなく、治ったら何をするかを考える。人間には自然治癒力がある。うまく回復力を生かすことが生活の知恵。失敗を恐れてはいけない。入学試験や就職試験で落ちても、しょげることはない。落ちることは素晴らしい経験である。落ちることはよくないが、そのときの回復力、「よし」と巻き返していく力が人間の生活力を高めてくれる。いくら人工知能が発達しても、人間力以上に「これからどうしたらいいか」を考えてくれることは当分、ありえないだろう。
生活力をどうしてつけるか。自分で考える力をつければ、我々は人生の後半において新しい可能性ももって生きることができる。コンピューターや人工知能が碁や将棋で人間に勝っても驚くことはない。老後を楽しく、快適にすることを教えてくれる人工知能はない。人間はそれを自分で体得することができる。「考える」というのは人の真似をしない、新しいものをつくるということだ。失敗を恐れず、進化していけば、年をとってからの方が若いときより大きく豊かに考えが深くなる。
赤ん坊は「考える力」を持つ天才
実は、人間が考える力を一番持っているのは赤ん坊だ。これまで人類が見落としてきた最大の力を持つのは、赤ん坊、乳幼児だ。生きる力、考える力、成長する力などすべてをもつ。その素晴らしい力を人類は無視し放置してきた。赤ん坊はほとんど何も教えてもらえないが、それでいて40カ月もたてば言葉を話すことができる。すごい力だ。これを見過ごしてきた。この時期に、生きる力、考える力、ものを発見する力を伸ばせれば、天才がいくらでも現れるだろう。
赤ん坊には戻れないが、我々がその力をいくらかでも持つためには、ほかの人と話をする、会話をする。3人寄れば文殊の知恵。できれば5人、6人が集まり、存分に自分の思ったことを言い合うのがいい。それも同じ立場、職業ではなく、畑の違う人たちと談論風発、時の経つのを忘れるぐらいに話し合うのである。月に一回でもいい。確実に思考力が高まる。ヨーロッパの人たちはこれに気がつき「クラブ」をつくった。そういう心を育むためのグループ思考が日本人はへただ。クラブ的集まりで存分にしゃべれば創造的な思考が飛躍的にのびる。一人ではなかなか新しいことは考えられない。
ギリシャ人は「健全な精神と健全な身体は人間の基本的な価値である」と言い、ローマ人はギリシャ人にならって「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言ったが実は「宿らないのである。この二つを結びつけるのは思考力である。人工知能という人間の精神、肉体とは関係のない機械が現れて人間をおびやかしているが、これ克服するには、快適に生きる力、面白いことを考える思考力をつけなければならない。それができれば、我々は人工知能に負けずに人間らしく生きることができる。みなさんは前途春秋に富んでいる。それをうまく生かして「快適に生きる力」、「面白いことを考える思考力」を是非、身につけていただきたい。
質疑応答
塾生 ―― 外山先生のこれまでの人生で、成長につながった失敗を教えて頂ければ。
外山 最初は入学試験。三度受けて二度落ちた。若いころは恥ずかしいことだったが、50歳ぐらいのとき、失敗が自分を育ててくれたと気付いた。失敗がなければこれだ
け長くは生きられなかったろう。
塾生 ―― 農家の田植えの時期を思い出すと、周りの人がやるからやるといった感じで、自分で考える社会ではなかった。
外山 仕事というものをどう考えるかだろう。人工知能の影響を受けるのがサービス中心の3次産業。相当工夫しても人工知能に能率では及ばない。機械
(コンピューターや人工知能)が一番弱いのが1次産業で、将来は1次産業が最も有望ということになる。4次産業を考えるのではなく、いままでばかにしていた生活に近いところの文化、仕事をどうのばしていくかを考えるべきだろう。
2016/09/26
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